今日は、「竹富(武富)清嘯 たけどみーせいしょう」の山水画をご紹介します。紙本の白地に墨の濃淡だけで非常に繊細に丁寧に描かれています。明治10年、乃木希典、川上操六らの知遇を得て西南の役戦没者墓碑名を揮毫し、その報酬を元に清国へ約1年間遊歴、清の画家胡公寿に師事したとありますので、帰国後晩年近くになった55才の時に画かれたものです。つい見入ってしまうほどきれいに描かれています。ヤフーボックスに追加画像を少し多めに投稿していますので是非ご確認下さい。
■竹富清嘯Takedomi Seisho
天保4年(1833)~明治32年(1899)
肥後五木五家荘(熊本県球磨郡五木村)に生まれる。名、祥。字、謙。通称、理三。 初号、嘯山。弘化4年、13歳で浄行寺で書肆を営む豊前屋の丁稚となり、安政5年、25歳で独立結婚をするまで勤める。その間、主人の阿部壺山に絵の手習いを受け、書は薫其昌を手本として学んだ。独立後、豆腐屋や綿打業を営むが長くは続かず廃業、筆墨、書画刀剣の行商に転ずる。明治10年、乃木希典、川上操六らの知遇を得て西南の役戦没者墓碑名を揮毫し、その報酬を元に清国へ約1年間遊歴、清の画家胡公寿に師事する。 帰国後、西日本各地を遊歴し多くの文人墨客と交わる。明治32年、広島で客死。
【作品詳細】
■竹富清嘯筆「山水之図」 水墨
■真作保障
■印刷ではありません。紙本に画かれています。
■軸先材質:木
■合せ箱
■概略寸法(mm)
本紙:330×1360
総丈:450×2100
軸長:510
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